統合失調症と原罪

一言でいうと、洗礼とは「原罪を取り除くこと」であります。統合失調症の人はたいてい潔癖症である。したがって、原罪があることで自己の中で「分裂」がおこり統合失調症が起こるというのが、私の統合失調症に対する解釈である。

一方で、私は現在、43歳ですが、統合失調症の診断を受けたのが29歳の時、洗礼を受けたのが37歳の時で、順序が逆転しているため、統合失調症自体は脳に障害があるので、洗礼を受けても治りませんが、精神的な問題は解決しているので、再発の危険性はほとんどないと私は思っています。再発とは薬剤治療を受けていても症状が悪化することを言います。

統合失調症は、かつて早発性痴呆症と呼ばれていた時代があり、一種の認知障害を起こす病気ですが、認知症もまた魂の問題が原因であり、たいていの人は自己分裂が原因で起こるものと私は解釈しております。

したがって、そのような魂の問題を解決する最良にして唯一の問題は、「洗礼を受けることである」と私は考えます。したがって、私は統合失調症ですが、少なくとも認知症にはかからないという自信があります。

また、自殺などの問題もまた魂の問題であり、自己の原罪との折り合いがつかないことで起こる行為であると考えます。したがって、洗礼を受ければ自殺すること、少なくとも、自己との折り合いがつかないことが原因で起こる自殺はなくなると考えます。キリスト教では自殺は最大の罪ですが、それはそのように止むに止まれず起こるような自殺ではなく、クリスチャンが自殺する場合というのは、完全なる意図的な行為であると解釈されているためであると考えます。したがって、一般的にはクリスチャンの場合、ノンクリスチャンに比べて、「自傷他害」を起こす確率は極めて低いと私は考えます。これは統合失調症とも深く関わりのある問題です。

確かにクリスチャンが犯罪を犯す可能性は全くないとは言いませんが、ノンクリスチャンと比べれば明らかに低いというの私の考えであります。「つまずきはさけられない」とイエスは言ってますが、それは、ノンクリスチャンにとってはたいしたことのない問題がクリスチャンにとっては大問題になるケースが、ノンクリスチャン側から見ても、当事者にとっても多いからであると思います。たとえば前回はマスタべーションの問題に言及しましたが、マスタべーションは犯罪ではないし、ノンクリスチャンにとっては大した問題ではないが、クリスチャンにとっては大問題であることがその一例であります。

したがって、一般的には統合失調症にかかるのは思春期である場合が多い。それは性的問題が原罪から起こるためで、そのような問題を避けるためには、思春期に入る前に洗礼を受けるのがよいというのが私の考えであります。私の考えでは思春期に入る前に洗礼を受けた人は思春期に問題なるような性的問題は起こらないはずです。私は、もろに思春期を性的な問題を引きずりながら過ごしましたが、たとえば、幼児洗礼を受けた人の中には生まれつきクリスチャンの人たちがいるというが私の幼児洗礼に対する解釈ですが、そのような生まれつきのクリスチャンは性的問題に悩まされることがない、つまり、生まれつきの「生まれつきのクリスチャンには思春期が存在しない」というのが私の考えであります。

そのような観点から考えても、洗礼を受けるのはできるだけ早いほうがいい。しかし、だからといって幼児洗礼は全く意味がない。したがって、ある程度、罪の意識があって「神様、ごめんなさい」と言えるような年齢になった時点で受けるのが最もよいというのが私の考えです。そして高齢者であれば、認知症になる前に洗礼を受けるべきであるというのが私の考えであります。また、私のように30代手前になって統合失調症にかかる人もいますが、そのような場合においても、20代のうちに洗礼を受けるべきであるというのが私の考えです。私の場合は統合失調症にかかってから洗礼を受けましたが、統合失調症にかかっていてもできるだけ早く洗礼を受けたほうがいい。そうすることで、統合失調症の予後はうんとよくなると私は考えます。

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