偶像崇拝者に他人の信仰を批判する資格はない

私は仏教そのものが偶像崇拝だとは思わない。般若心経にもちゃんと意味があると思っています。しかし、初詣でに行くような人たちは、お経の中で最も短い般若信教の意味すらわかっていない人たちである。そんな人たちがどの立場からキリスト教を批判しようというのか。「般若心教はこう言っているからキリスト教は間違っている」とちゃんと理論立てて批判するべきである。しかし、初詣でに行くような人たちには理屈もへったりもありゃしない。そんな人たちに私がクリスチャンとしてどこが間違っているのかということを批判する資格は全くありません。彼らは般若心経すら知らないのに、どの立場から私が間違っていると言えるのか。「だって、私は毎年ちゃんと初詣でにいっているし、お墓参りにもいっています」というのが彼らの答えられる唯一の根拠である。自分の立場もわきまえていないくせに人を批判する愚劣な人々である。般若心経すら知らない彼らが初詣でやお墓参りに行く理由は何か。それはお寺や神社、お墓といった形だけのものを崇拝するためである。そういうもののことを称して私たちは偶像崇拝という。偶像崇拝には何の内容もない。何の内容もないことをしている人たちに私のブログの内容を批判する資格はありません。まず、彼らのほうから、私はこれこれの理由で初詣でやお墓参りをしているのですと、はっきり理屈立てて説明するなら話は別だ。しかし、自分の行動も説明できない人々にキリスト教や私を批判する資格はまったくないとはっきり言っておきます。

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